富山県射水市赤井(旧:大島町)
伝承:赤井砦推定地(地図)
伝承:赤井城推定地(地図)
神楽川沿いの小字「馬塚」という場所に、日宮城の出城として「赤井砦」があったと伝えられています。
赤井砦の地には、かつて神楽岡神社があり、その宮司杉岡氏が地侍として武力を蓄え、赤井城を築き、赤井氏を名乗ります。室町時代末期の頃と思われます。
その後、天正4年に上杉謙信によって日宮城が落城すると、破れた赤井半太左衛門は神官に戻ったと言われます。
なお「馬塚」の地名の由来として、豊臣秀吉が佐々成政攻めで太閤山に陣をかまえた時、死んだ軍馬を葬った場所だという言い伝えがあります。
現在「馬塚」の赤井砦推定地には「故宮の跡地」という碑が建てられています。また、現在の神楽岡神社が赤井城の跡地だそうですが、遺構を見つけることはできません。
参考文献:大島町史(大島町教育委員会:平成元年)
ここは小字「馬塚」という、赤井砦のあった付近。
赤井砦跡地には「故宮の跡地」という碑があります。かつて神楽岡神社がありました。
後方が杉岡家墓地。
赤井城の推定地である、神楽岡神社境内。