富山県富山市願海寺(地図)
富山市願海寺にあった城で、上杉謙信方の武将、寺崎民部左衛門盛永が拠った平城です。
築城年代は天文14年(1545)頃。昔からこの地域は湿地帯で、願海寺城も水堀で囲まれ攻めにくい構造だったと言われます。推定本丸位置は現在の加茂神社の付近。その周りに民家があり、一説によると2000戸の城下町とありますが、それは寺崎氏の知行地全体の数と思われます。
寺崎民部左衛門は勇猛果敢な武将で、射水全域を支配下に置き、天正2年(1574)には能登の畠山氏とも戦いました。
その後上杉謙信に従いますが、謙信死後、織田信長の越中進出の際には寺崎は織田方についています。
ところが、信長から越中の守りを任された佐々成政の留守中に上杉方に復帰。急遽立ち戻った織田勢によって制圧され、寺崎民部左衛門父子は切腹させられました。
案内看板と石碑
石碑
案内板
本丸付近とみられる神社
願海寺城出土品
願海寺城出土品
願海寺城出土品
願海寺城出土品
願海寺城出土品
願海寺城出土品
願海寺城城下町復元図
「願海寺の七曲がり」が分かる
2019年、加茂社近くで発掘調査が行われ、堀跡などが検出されました。