富山県南砺市(旧福光町)土山(地図)
もともとここは、浄土真宗の蓮如が「土山(どやま)御坊」を設けた場所でもあり、一向一揆とも関係があるようだ。また、礪波郡と加賀二俣を結ぶ「加州二俣間道」にも近く交通の要所でもあった。
別名「土山砦」とも言われる。
天正12、13(1585)年ごろ、佐々成政により築かれ、その家臣の稗田善助・青木孫右衛門を守備させたという(越登賀三州志)。加賀前田氏への国境警備の為のものであろう。
現在は水道設備のため相当の破壊を受けているようだ。ただ、土塁や堀切など防御施設は土山集落全体に及ぶので、御坊時代だけではなく、在地土豪が築いたか、それを佐々氏がそのまま利用したかではなかろうか。(撮影2024年4月)
(2008年撮影の御峰城の写真はこちら)
御峰城 城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
Dの曲輪下の舗装道から登る道があります。
城郭図1の掘割部分。もとは堀切であったようです。
道の脇にも小規模な曲輪が残っています(城郭図3)
御峰城主郭(城郭図Aの曲輪)
集落の水道施設があり、城の標柱があります。
主郭Aにある土塁跡
主郭下にある曲輪B
B曲輪には土塁があります。
更に降りると曲輪Cがあります。
曲輪Cに残る横堀。
城郭図4の大堀切
堀切に隣接する「ゴモン(御門?)」と呼ばれる区域
「ゴモンノサカ」と呼ばれる旧道(城郭図5)
右上の曲輪から監視されています。
ゴモンノサカを登るとゴミだらけ。
不法投棄はやめましょう!
城郭図6の堀切。これも大きい!
堀切を監視する櫓台のような構えです。
城郭図7の土塁
城郭図8の切岸
土山御坊跡(城郭図Eの空間)
万兵衛屋敷跡ともいわれ、奥に杉浦万兵衛累代の墓があります。
土山御坊跡案内板
「オチン(御亭)」と呼ばれる平坦地(城郭図G)
オチンにある土塁と横堀(城郭図10)
オチンの東を守る切岸(城郭図10)
城郭図Fの部分も見張りの曲輪っぽい。
御坊伝承地はここのようです。