
富山県小矢部市末友(地図)
一向一揆の拠点であった勝興寺があった。天正9年に織田信長方の石黒氏による攻撃を受け陥落した。
現在遺構はないが、地形の高低差から当時の規模を推定することはできる。(撮影2008年5月)

航空写真 (昭和50年・提供:国土画像情報 国土交通省)

航空写真の説明。地名と推定囲郭ライン。

北側から見た安養寺城跡。渋江川に面する高台にある。

城跡西端となる「矢倉」部分を北側から見る。

西側の推定郭ラインを南側から見る。かなりの高さがある。
奥の部分が「矢倉」。

西教寺前にあるくぼみ。

八幡宮南側

城跡東端部分を北側から見る。

オチン(御亭)と言われる場所。

ミドウヤシキ(御堂屋敷)の地名を残す田んぼ。

カネツキドウ(鐘撞堂)と言われる場所に石碑が立つ。
ここに寺院本堂があったと言い伝えられている。

勝興寺石碑

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