富山県立山町城前(地図)
登山客の多い来拝山の中腹にある山城。池田城の支城と伝えられるが、相当の山奥。非常に急峻な山に築かれており、そもそもここに城郭があることが不思議なほど。上杉謙信が池田城を攻めて落城させた時、城兵はここまで退き死守したとも伝えられる。
標高500m程度の最高所は危険な細尾根で曲輪は認められない。その細尾根東方向にある削平地、尾根の両側を堀切で遮断した単郭の城と言えよう。
麓の「城前集落」は礼拝殿山城の前にあるということで付けられた地名だが、昭和30年代に廃村となっている。
長倉集落からの車道は、城前集落の手前で水害により大崩落しており、おそらく復旧はない。一応、崩落箇所は徒歩で乗り越えられる。また、城前集落からの登山道は無い。正直、行くべきでない。間違いなく遭難するか、細尾根から転落して死ぬか、だと思う。何度か訪城経験のある方の案内があったからこそ辿り着けた。
西尾根にある削平地と切岸は、おそらくは畑跡であろうと判断し、今回は訪問していない。
ここまで逃げ込まねばならなかった将兵たちって、一体どんな訳があってのことだろう。(撮影2024年4月)
礼拝殿山城 城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
長倉集落から城前へ行く道は通行止めです。
なぜかというと……
途中で水害による大崩落が起き、完全に遮断されています。
たぶん、この復旧は無いでしょう。
車道から見た礼拝殿山城。
中央一番奥の山です。
城前集落手前の城前橋も、ごらんの有様
林道脇から城前集落跡地に入ります。
道があるのは最初だけ。
尾根伝いとはいえ非常に急斜面で劇藪との戦い
最高所(城郭図A)に、やっとこさ辿り着く。
ここは塚状になっている。
塚状の前は、わずかに削って平地を持たせている。
東方向の尾根を進む。藪しか見えない。
しかも足元踏み外したら転落する。もう、無茶苦茶。
人一人通るのがやっとの細尾根。北側はほぼ垂直斜面。
命の保証は無い。(城郭図1)
城郭図2の堀切
東側を薄く土塁を設けている。
城郭図3の堀切
主郭に入ります(城郭図B)
Bの西側は細い土塁状になっています。
主郭の削平地(城郭図B)
東尾根を遮断する堀切(城郭図4)
奥に人がいるので、その大きさが分かるであろうか。
城郭図4の堀切。
上幅9m、深さ4mの、かなり大きな堀切だ。
堀切の主郭側は、やや高く櫓台状にしている。
よほど来拝山側尾根を恐れたのか?