富山県砺波市塩谷(地図)
京の公家・徳大寺実淳 (後花園院皇子淳良親王) が黒田太左衛門に般若野郷の荘官を命じたが、文明6年(1474)に黒田は反乱を起こし、悪党と共に立てこもった。別名「鬼ヶ城」とも言われる。
城内に尾根道を取り込み、至る所で横矢を掛けているので、通行管理の意味もあったのであろう。
最近は、増山城曲輪の会によって整備されているので、非常に訪問しやすいです。ただ、登城口付近は駐車スペースが無いので、路肩に停めるしかありません。(撮影2014年4月)
安川城 城郭図
(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
安川城の登り口。案内板があります。
登城道はかなり掘り込まれていて、
かなり使われていた様子です。
土橋状の場所を通り抜けると……(城郭図A)
正面に城郭図Cの郭の切岸が現れます。
なんだか一斉に攻撃を受けそうな迫力。
城郭図Bの虎口
城郭図Cの郭跡
城郭図Dの部分。上の郭から横矢がけで狙い撃ちを受けます。
更に竪堀を設けて通路を狭くしています。
(GoogleMap ビュー)
城郭図Eの郭。「三の曲輪」の名を持ちます。
通路に対してわずかに土塁を持たせています。
通路は土橋状になっています(城郭図F)
写真奥が主郭方向
城郭図Gの堀切部分
丸い窪地は古池跡だそうです。
堀切というより、切り通し。
写真奥に向かって道が通っています。
主郭の切岸が立派です(城郭図H)
奇麗に整備されていますね。
城郭図Iの堀切
下に竪堀で落としていて、通路をも遮断する形に。
城郭図Gの部分は、すぐに主郭に登れる道がついています。
ただ、本来の導線は写真奥方向(城郭図J)のようです。
安川城 主郭(城郭図K)
きちんと整備されていて感謝です(GoogleMap ビュー)
曲輪の会の皆さんが、またこんなの作ってますね。
増山城ともども、好きですねー。
主郭南側の曲輪(城郭図L)(GoogleMap ビュー)
言い伝えでは馬小屋があったとされます。
城郭図Iの堀切を見下ろします。
主郭から北側の曲輪群に下りようとしましたが、
雨が降ってきたので退散。また今度行きます。
近くに「野武士」バス停があるんですけど、関係してるのかな?