富山県富山市大沢野町猿倉(地図)
現在は「風の城」公園として市民の憩いの場となっているが、公園建設により相当の破壊を受けている。よって遺構も判然としない。
元亀2年(1571)4月、飛騨の武将・塩屋秋貞が「普請」したという。その後、天正9年(1581)には城生城の斎藤信利が猿倉城を支配していたという。
飛騨から越中に入る交通の要衝を抑える格好の場。南北への眺望もよく、それからもここに城が築かれた理由がよく分かる。しかし、現在の様子からも縄張りにさほど工夫はなかったであろうことは推測される。(撮影2023年04月)
猿倉城 位置
猿倉城城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
中腹の展望台からの眺めと、登り口
ここからひたすら階段を登ります。
猿倉城主郭(風の城)
猿倉城の石碑。案内板はない模様。
城郭図Bの方向
城郭図Cの部分。曲輪の跡に鉄塔を建てたか?
城郭図1の切岸
城郭図2の切岸。
南尾根方面を守っています。
北方向の眺め。素晴らしい。
飛騨方向への眺め。
街道監視にもふさわしい場所です。