富山県下新川郡朝日町宮崎(地図)
別名「境城」とも呼ばれ、越中・越後の国境を守る山城。その歴史は古く、寿永元年(1182)に北陸宮(以仁王の皇子)が木曾義仲に属する豪族・宮崎太郎長康に護られて宮崎に居住し、城山に御所を造営したのが宮崎城のはじまりと伝えられる。ただ、この件に関して確証は持てない。
戦国期になると上杉謙信の越中進出の中継基地の役割を果たし、その後佐々成政は天正11年に宮崎城を落として越中を平定。しかし天正12年に佐々と前田利家が戦った隙をついて上杉景勝が宮崎城へ進出、落城している。
現在、城跡は公園化されて非常に訪問しやすい。しかし、第二次世界大戦中に日本陸軍に属する電波技術研究所が設置され、相当の改変を受けている。公園内の石垣のほとんどは後世のもので、戦国期のものではない。ただ、よく観察すれば、堀切や櫓台、土塁などを確認できる。
畝状空堀群や二の丸土塁、三ノ丸石塁は明らかに西側の谷を警戒しており、現在は上杉氏時代の形を残していると言えよう。(撮影2015年5月)
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現在の宮崎城跡(Google Map)
宮崎城城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
昭和21年(1946)の宮崎城航空写真
(提供:国土画像情報 国土交通省:米軍撮影)
旧陸軍の施設が確認できます。
……それにしても、畑の数がすごいですね。
横尾側と宮崎側から、乗用車で登れる道があります。
案内もありますので、間違うことはないでしょう。
駐車場は二つあり、案内通りに行くと城山駐車場へ行きます。
どちらに停めても、城への登山道があります。
途中、笹川地区を見下ろせる絶景ポイントが。
笹川峡谷を案内する看板もあります。
城山駐車場。広すぎでしょう。
公園内、トイレも何カ所が存在する親切設計。
中部北陸自然歩道の案内板
駐車場から城へ向かうと、まず堀切っぽい地形に出会います。(城郭図1)
公衆トイレが見えれば、そこが城への入口。
「鷲野曲輪虎口」の案内版。虎口?
トイレの裏に入ると、大きな堀切に出会います(城郭図2)
道の反対側には竪堀が。
食い違いの堀切土橋だったのだろうと佐伯氏は推測。
しかもその土橋をにらむ巨大な櫓台が。
櫓台のこの穴は……旧日本軍によるものなのでしょう。
きれいな削平地ですが、戦国当時の姿は残していません。
旧日本軍の施設の為に削平されています(城郭図G)
櫓台方向を見ます(城郭図G)
遊具があります。
城郭図Gの曲輪の西斜面。
実は城郭図4の部分に畝状空堀群が存在します。
城郭図4の畝状空堀群の部分なのですが……
草木が茂ると、写真では何が何だか分からないのが畝状空堀群。
実際にここに来れば、ハッキリ分かります。
佐伯氏の調査によると11本の竪堀が並んでいます。