石川県白山市八幡町(地図)
戦国期の石垣が見れる貴重な山城。
南の白山山内地域への交通の要所で、加賀一向一揆勢もここを拠点の一つとしたであろう。一向一揆が掃討された後は、前田利家家臣の高畠定吉が城主となる。
西側直下に手取川が流れ、三方は急峻な斜面で守られた船岡山だが、北側が非常にゆるやかな地形であり、当然ながら北方面の防御を意識した縄張りとなる。その守りは、横堀、土塁をめぐらした織豊系であり、石垣を多用しており見どころ満載だ。特に主郭の手取川側は巨石を用いた立派な石垣で、正に西側勢力へ見せつける権力の象徴の意味もあったであろう。前田利家時代の石垣は大変貴重なものだが、随所で崩れてきているので、今後の保存活動に期待したい。
石垣の特徴については、荒々しい積み方ではあるが裏込石があり、高いところでは10メートルあることから、佐伯氏は天正十年以降のものと推測している。それ以前だと裏込石はあっても高さは4メートル程度(七尾城、小丸山城、鳥越城)、さらに一向一揆時代に戻れば裏込石はない。
アクセスは、南側から登る道もあるが、北側の石川県立白山青年の家の裏側に案内板と入り口がある。道は整備されており、高低もさほどないので難なく城内散策ができる。(撮影2022年05月)
舟岡山城位置
舟岡山城郭図(作図:佐伯哲也氏:掲載了解済)
船岡山遠景(道の駅より)
白山青年の家の裏側に入口と案内表示があります。
(Googlemapビュー)
遊歩道案内板。
低い切岸に出会います。城の北側の守りです。
かなり広い空間です。
(Googlemapビュー)
城郭図(1)の部分に来ました。
丸い石積みがあります。井戸の跡でしょう。
城郭図(2)の部分へ来ました。Fの曲輪へ入ります。
(Googlemapビュー)
このあたりから、石がゴロゴロ見受けられるようになります。
自然石? どうも敷石っぽいですが、かなり大きい。
Bの曲輪まで来ました。西側の石垣です。
B曲輪へ入る虎口(城郭図3)内枡形虎口になっています。
かなり崩れていますが、石垣で固めていたのでしょう。
城郭図4の櫓台。石垣で固められています。
城の北側を睨む重要な櫓台です。
B郭、城郭図4の櫓台
櫓台の石垣です。
写真右側が櫓台
櫓台から下をみます。かなりの高さがあります。
こんなの登ってこれません。
主郭Aに向かいます。城郭図6の部分の土橋です。
奥に主郭の石垣が見えますね。
城郭図6の竪堀
城郭図7の櫓台石垣。
石積みは既にかなり崩れています。
一番の見どころ、主郭の手取川側の石垣です。
立派な石垣です。素晴らしい。
相当崩れてきていますね……
城郭図8の部分の石垣
(Googlemapビュー)
野良積みで、やがて崩れるのではないかと心配。
手取川側は、他の石垣より大きめの石を使っています。
これほどの巨石はここだけです。
丹羽領への見せしめ、と言いますか、まさに権力の象徴の意味もあるでしょう。
石垣の隅、野良ながらも立派な算木積みです。
(Googlemapビュー)
城郭図8の石垣を南側から
城郭図9の横堀。主郭を守っています。