
石川県小松市原町(地図)
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加賀平野から鳥越城へつながる街道を抑える位置にある山城。伝承はないが、一向一揆が使用した城を織田軍が攻略し改修したと思われる。
比高240mの奥山ながら、主郭はきれいに削平され全周を塁線土塁をめぐらす徹底した守りで、防御性の高い虎口を備えているのも見どころである。(撮影2022年05月)

岩倉城城郭図(作図:佐伯哲也氏:掲載了解済)

B曲輪から外へ出る虎口(城郭図7)

B曲輪から南方向の曲輪(城郭図10)

主郭の切岸ですが、これはすぐに登れるものではありません。

城郭図10にも浅く土塁を設けて東の尾根を警戒しています。

B曲輪からC曲輪へ降りる虎口(城郭図8)

C曲輪へ降りてみましょう。

城郭図Cの曲輪。ここも全周塁線土塁を設けています。
本当に徹底した守りだ……。

C曲輪から外への虎口(城郭図9)

9の虎口の外には横堀を設けています。

9の部分の土塁。

C曲輪を北側から見ます。つまり正面は櫓台6。
この櫓台はB、Cの両曲輪とも監視するという重要な役割があります。

C曲輪からB曲輪へ入る通路。櫓台6からの横矢が掛かります。
かつ土塁を設けて通らざるを得ない構造になっている地獄の通路。

主郭の南側です。奥に虎口(13)が見えます。

案内板では「投げ石」とありますが……小さすぎますよね。(城郭図12)
佐伯氏によれば、岩倉観音参拝者が持ってきた石ではないか、と。

土塁の折り曲げ部分。(城郭図11)

主郭南にある虎口(城郭図13)。
案内板には「食い違い虎口」とありますが、特に食い違ってません。

北側の虎口群に比べ、あまりに単純な南の虎口。
南側こそ警戒せねばならないのでは……?
もしかして後世にブチ開けたのでは、と思うほど。

城郭図14の帯曲輪

城郭図15の曲輪。ここには岩倉観音が建っています。

かなりの広さがありますが、土塁等はありません。
織田軍の改修が及ばない、古い曲輪なのでしょうか?

ここは敷石のような石が結構見受けられます。

城郭図16の曲輪。かなり綺麗な削平です。