富山県滑川市堀江(地図)
土肥氏の居城。永禄12年に上杉謙信によって攻め落とされた。その後土肥氏は拠点を弓庄城に移す。
現在、城跡となる高台は墓地と畑として利用されており、そのなごりを残しています。一部、横堀と土塁を残しており、城域は広かったことが推定されます。
(撮影2012年4月・8月)
堀江城位置
堀江城、西側からの全景
犬走りを残すかの様に見える切岸跡
特に案内板はありません。表札だけ墓地の中にあります。
墓地には「土肥家」の墓が多く存在します。
城の北側は低湿地となっており、かつては堀だったのでしょう。
東側奥にも墓地があり、そこには横堀跡と土塁が残っています。
南側にある窪地。横堀の跡と推定されます。
東側墓地にある窪地(横堀跡)と土塁。
土塁は雑草に覆われて確認が難しいです。
西方向に延びる道が途中で折れ曲がっています。
これをかつての城道では?と佐伯氏は推定しています。
しかし、昭和50年の航空写真では直線道なんです。謎。
航空写真 (昭和50年・提供:国土画像情報 国土交通省)
ちなみに、近くの常光寺地区の中に堀江館跡があります(地図)。
写真中央の少し盛り上がった方形部分。周囲は堀跡とみられる湿地。
おそらく宗教施設(常光寺跡)かと思われます。
新たに高台と看板が設置されていました。
堀江城案内板