富山県上市町館(地図)
土肥氏は堀江庄の地頭代として堀江に居館を構えた。16世紀初め、白岩川流域に進出して弓庄城を築城。永正17年(1520)長尾為景に敗れ、堀江系土肥氏は衰退するが、後に弓庄系土肥氏は上杉氏に属し、新川郡西部の有力国人となった。
上杉謙信没後、織田方に属したが、天正10年(1582)信長が本能寺で討たれると再び上杉氏に属し、佐々成政と敵対。佐々氏は二度にわたり弓庄城を攻めたが落城せず、同11年に和睦し、土肥氏は越後へ退去した。
現在、遺構はありませんが、高い切岸や堀の規模は確認でき、佐々成政でも落とせなかった難攻ぶりが感じ取れます。隣接する弓の里歴史文化館では、発掘調査による出土品が数多く展示されているので見物です。
(撮影2012年4月)
本丸跡地にある石碑
本丸跡地にある石碑と案内碑
本丸跡の案内碑
城域が広いだけあり、あちこちに案内板があります。
案内板
西側の切岸跡。現在は水田ののり面になっています。
写真右側は堀の役目をした泥田だったのでしょう。
切岸の高さを感じ取れます。下段は土塁跡だそうです。
城跡の石碑もありました。
当時も、これほどの高さがあったのでしょう。
更に内側にも高い段差があります。
弓の里歴史文化館
弓庄城の模型
弓庄城古図。
左上に佐々成政の付城(郷田砦)と「ハリツケ田」があります。
様々な出土品が展示されています。
鉄製品に、将棋の駒など。写真左側には甲冑の一部分が。
特に将棋の駒は「銀将」で、裏には「金」が。
駒の進む方向に印がしてあり、初心者用だったのでは?
土師器
木製品
石製品。奥に石臼があります。
ちなみに城跡北にある女川交差点付近の田んぼを「ハリツケ田」と言うそうです。
籠城した土肥政繁の次男が佐々成政によって磔にされた場所。
城内の兵は怒ってその屍を取り返し、土肥氏の抵抗は更に激しくなりました。
写真奥に郷田砦、柿沢城の山が見えます。