富山県南砺市福光町館(地図)
鎌倉時代に地頭職の藤原氏によって砦が築かれたといい、城主として加藤右衛門左、上田作兵衛、山口新左衛門、清水将監らが居城したという。その後、佐々成政が天正年間に改修したと言われるが定かではない。
城跡は城山と言われ、堀切、竪堀を多用し、一部畝状空堀を設けて守りを固めている。特に主郭から西方向の細尾根には三重の堀切を設けている。両側が切り立った尾根は凄まじいものがある。
林道脇に案内板があり、登山道が設けられているが、途中から荒れて消えているので、ご注意を。全体的に地質が粘土質のようで、特に雨の日の後などはどこもかしこも滑りやすい。細尾根から西の郭群に入るには、それなりの覚悟と装備が必要であろう。(撮影2022年12月)
(当ページ)登山口、堀切、畝状空堀群など
(次ページ)主郭・三重堀切、細尾根方面など
広瀬城位置
広瀬城 城郭図(『越中中世城郭図面集3(著::佐伯哲也 本人了解済み)』より引用)
広瀬城を林道から
林道からの登り口。看板があります。(このあたり)
近くに小さい駐車帯があります。
広瀬城 案内板
しっかり「成政酒造」を宣伝。
最初は道がありますが、途中から分からなくなります。ご注意を。
城郭図Eの郭にきました。
城郭図1の堀切
堀切は下に落としていますが、藪なので写真ではわかりませんね。
城郭図2の竪堀と、奥へ続く通路
上に3の堀切が見えます。
城郭図3の堀切
城郭図4の堀切
4から下へ降りる竪土塁
城郭図5の郭
畝状空堀がある城郭図Dの郭へきました。
畝状空堀群(城郭図6)
元あった曲輪を削った、という感じです。
さらに奥の空堀
城郭図Cの郭へ来ました。
C郭には、いたるところに穴があります。
この穴について佐伯氏によれば、医王山信仰に関するものではないか、と推測。
城郭図7の土塁
城郭図8の堀切
堀切から続いて竪堀を落としています
C郭を上から眺めます。