富山県南砺市福光町館(地図)
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このページでは、広瀬城の主郭、三重堀切、細尾根方面について紹介しています。(撮影2022年12月)
広瀬城 城郭図(『越中中世城郭図面集3(著::佐伯哲也 本人了解済み)』より引用)
主郭の手前、城郭図9まで来ました。
正面が主郭の切岸です。
ここから竪堀を設けています。
主郭の切岸(城郭図10方向)。
城郭図10の切岸
城の南側を守る堀切(城郭図C)
主郭Aに入りました。正面が城郭図13の櫓台
城郭図12の内枡形虎口部分。この城での見どころの一つ。
ですが、ごらんの藪模様。
城郭図13の櫓台
櫓台から三重堀切(城郭図14)を見ます。藪だ!
三重堀切の1本目
堀底を撮影してもアカンですね。
今度は鎌を持ってこよう。
三重堀切の二つ目
三重堀切の三つ目
ここからは景色がよく見えます。素晴らしい眺望。
細尾根を進みます
細尾根。城郭図15で一度下る。
城郭図16の手前まで来ました。
城郭図16、問題のB郭への最終登り口。
ここは細尾根でも岩場になっており、両側は切り立った危険な箇所。
ここで諦めて帰る人も多く、今回は装備も不十分と判断し、私も断念!
B郭は目の前なのに!
リベンジを誓う。
私の勝手な推測ですが、縄張り図を見る限り、A郭周辺とB郭周辺は、明らかに普請の程度が違います。高さではB郭の方が高いので、本来の主郭はBではなかったのか。
ただ、この細尾根が本当にひどい細さで、兵が移動するには不便すぎる。だからある時期、B郭の利用を取りやめ、三重の堀切で完全に遮断してしまったのではないか、と思えます。
そう、最終段階の形態は、寡兵でも守れるように、B郭方面を三重堀切で遮断し、G郭方面も畝状空堀で遮断し、F郭方面も堀切を設け、主郭周辺を徹底して守ったのだろうな……と。