富山県立山町池田(地図)
城山と呼ばれる山頂に築かれた山城。神保氏の重臣である寺嶋職定が居城したと伝えられる。寺島は芦峅寺衆徒と協力し、反上杉氏として動いていたのが永禄12年頃。その後没落したと考えられる。江戸時代の記録には金森中務が居城とあるが詳細は不明。
北側の尾根筋、池田集落側が大手のようで、土橋や竪堀で通路を狭め警戒している。城内も通路を設定して横矢をかける工夫が見て取れる。南側の尾根は二重の堀切で遮断している。
道路からの入口や城内は案内板があり分かりやすい。が、少々謎な案内板もあり、注意が必要。(撮影2024年4月)
>>池田城Youtube解説動画
道路脇に案内板が立っています。
入口の案内板
池田城 城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
池に突き当たったら、左に登り口ハシゴがあります。
途中「櫓」の案内表示が……(城郭図H)
登ってみると自然地形の丘です。櫓とはなんぞ?
「のろし台跡」の標柱があります。
そういう伝承はありません。謎。
城郭図2の土橋部分。
正面にGの曲輪がこちらを監視しています。
土橋西側の竪堀
土橋東側の竪堀。
巨大です。地形をうまく利用したのでしょう。
土橋を監視するG曲輪
城郭図3の通路入り口。両側を土塁状にしています。
この巨石が、石垣だと主張する方があるそうです。
人工的に積んだ遺構とも思えなくもない。
でもこれは自然石でしょうねえ……。
通路を登ると正面に高切岸が現れます。上はE曲輪。
左に堀切4があります。
左へ登る道は本来の導線ではありません。
城郭図4の堀切
城郭図Eの曲輪
城郭図10の竪堀。かなり大規模です。
4と、この先の11の竪堀といい、城の東側への回り込みを徹底阻止しています。
敵兵は城の西側へ回らされます。(城郭図5)
左上はE、Dの曲輪があり横矢を掛けられます。
1 2