富山県砺波市庄川町隠尾(地図)
隠尾城紹介(前のページ)からのつづき。
隠尾集落の様子など紹介します。
※隠尾八幡宮と長慶天皇陵説
隠尾八幡宮の大杉がある丘陵が長慶天皇御陵ではないか、という説があります。
詳しくは『庄川町誌』に記されていますが、簡単に説明すれば、高野山金剛寺に長慶天皇親筆の般若心経があり、その裏の折目に記されていた文に「長慶天皇は河内から越中に移り、5年滞在して崩御。亡骸は越中国庄川の出口、南部の里に葬られた」とあるんだそうです。崩御と言っても、桃井氏が拠る壇城が攻められた時に自害されたらしい。
そして北朝側から御陵を隠す必要があり、杉の木と丸石が目印となった。そもそも「隠尾」という地名を「かくりょう」と読むのは「隠陵」から来ていると言う人もあり、どれもごもっともに聞こえる話。
長慶天皇陵の伝承は全国各地にかなり存在しているようなので、どこまで信じるかは貴方次第。
(撮影2010年5月)
隠尾城跡の隣にあった城主子孫・南部家。
ご覧の通り朽ち果てていますが、かなり大きな屋敷だった様子。
数件、林業用作業小屋として残されているようです。
未舗装の道が続いています。
隠尾集落入口にある隠尾八幡宮
八幡宮社叢の案内板
集落の配置図が石碑となって残されています。
表記は屋号のようです。
こんな小さな集落を守る為、上杉の大軍と戦ったとは・・・涙。
隠尾八幡宮
1946年(昭和22年)隠尾の航空写真
(提供:国土地理院)
1976年(昭和52年)の隠尾集落
(提供:国土地理院)
現在の隠尾(Google map)