富山県富山市海岸通り字古城跡割(地図)
城主の轡田氏は、日方江・水橋・東岩瀬地域治めた。
天正6年上杉方の河田長親に攻められて落城。城主轡田豊後守雅正は討死した。
現在は城跡に曹洞宗瑞円寺が建ち、東、南、西の三方を土塁跡に囲まれている。またその周囲には堀跡とみられる低湿地帯が残っている。(撮影2010年11月)
大村城 位置
大村城遠景(西側より)
瑞円寺前にある案内板
墓参用の駐車スペースがあります。
大村城案内板
城跡に立つ瑞円寺
瑞円寺の中庭。土塁に囲まれています。
もちろん、寺の方に了解を得てから入りましょう。
西側土塁の末端。ゆるやかに削られています(城郭図A)
矢竹が群生していて容易に入れませんね。
南側の土塁跡(城郭図B)
土塁には武者走りのように段差がついています(城郭図C)
写真では分かりにくいですが、見所ですね。
東側で土塁が一部途切れています(城郭図D)
削られたのか、虎口だったのか?
東側の土塁跡(城郭図E)
東側の土塁は墓地で切れています(城郭図F)
かなりの高さがあります。
東側土塁の外は水路になっており、堀の跡ですね(城郭図G)
南側に広い低湿地があり、葦が群生しています(城郭図H)
かなり広い堀の跡です。
南東側の低地(城郭図I)
瑞円寺の東隣には古い民家があります(城郭図J)
おそらく城跡の一部でしょう。
大村城城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
航空写真(昭和50年・提供:国土画像情報 国土交通省)