富山県小矢部市八伏(Googlemap)
応安2年(1369)に元越中守護の桃井直常が籠城し、幕府方の能登守護吉見氏に攻め落とされている。
その後、佐々氏の時代に杉山小助が守備したといわれるが、現在の遺構は天正12年に佐々成政と加賀・前田氏が対立した際に成政が改修したものである。
城脇には田近道という街道が通り、それを監視するように縄張りが組まれている。さらに加賀側で大堀切で遮断して悲壮なまでに警戒している様は、松根城と同様、成政の決戦の決意を表しているといえよう。
ほか、場内は虎口や竪堀など工夫を凝らした縄張りが観察でき、見所が多い。ところが主郭付近は削平も甘く、成政の改修は必要最低限だったのであろう。つまり、佐々時代と古い時代という新旧の縄張りを見ることができる城跡だ。
城への入り口案内板までは自家用車で入れる。田近道は林道として利用されているが、小矢部側から車で入るのは厳しいだろう。(撮影2017年05月)
一乗寺城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
西側からの入口。石碑があります。
石碑に簡単な城郭図がありますが、よく見えません。
大堀切手前で案内板があります
一乗寺城案内板
田近道
最大の見所、大堀切(城郭図1)
(Googlemap ビュー)
大堀切の北側は竪堀を落としています(城郭図2)
大堀切から切岸の北側を入っていきましょう(城郭図3)
坂虎口が見えてきます(城郭図4)
虎口部分(城郭図4)
虎口東側は竪堀を設けて遮断しています
坂虎口から西側へ入っていきます
(城郭図5)
大堀切を守る曲輪(城郭図C)
土塁で囲まれています。
大堀切側で小さく開口しています。
虎口だったのでしょうか、ただ堀切側が高すぎて登れませんよ。
郭Bへの虎口部分(城郭図6)
右側は櫓台です。