富山県富山市八尾町(地図)
この地域一帯を治めた斎藤氏の居城。南北に750mの城域を持ち、北東西の三方を川と断崖絶壁に囲まれた天然の要害である。実際、神保氏による攻撃を受けた際、2年間籠城しても落ちなかった。
断崖の無い南側は内枡形虎口に高い切岸、巨大な空堀で幾重にも守りを固めている。おそらくここは佐々成政や前田氏による改修があったものと思われる。近年の土砂採掘により一部削られているのが残念でならない。
城の北域は断崖で守られているからか、平坦で広く守りの工夫は薄く、居住空間であったと思われる。
とにかく本丸から南側の縄張りにはホレボレさせられる感動の山城。他の山城に比べると登山の労力も不要で、訪問もしやすいので是非とも訪れたい、オススメの城跡である。
訪城する前に『戦国の城を歩く』(千田嘉博・筑摩書房)の「城生城を歩く」の章を読まれることをオススメします。
(撮影2010年3月)
【2023年4月撮影】城の北端部分が見事に崩落しました。
全部落ちるのも時間の問題でしょう。北の曲輪は立ち入り禁止です。
県道沿いに、案内板と入口があります。(地図)
この付近、駐車するスペースがありませんので注意です。
(駐車できる入口が別に存在しますが、それは後ほど)
城生城跡 案内板
(本丸ルート入口)
入口を入ってすぐに道が分かれます。
左が本丸直通と西腰郭へ続く道。ここでは右の空堀方面へ歩きます。
すぐに段々が現れます。
小さな曲輪かと思いますが、これは巨大な堀切の中です。
そして目の前に巨大な空堀が現れます。
本丸を取り囲む、城中最大の空堀です。
写真右側が、本丸の切岸です。
高さ10mはあるでしょうか、登れません、こんな急斜面。
案内板の通りですね。
しばらく立ちすくんで息を飲む凄まじさ。
空堀の中に道標がありますので、迷うことはありません。
ここから南へ進みましょう。
巨大空堀の南東に位置する郭跡。
東側(神通川側)を土塁で固めています。
……が、よく見ると岩です。石積ではありません、岩を削って塁にしています。
さらに南方面、郭が続きます。
郭の西側も土塁で守られています。
写真右下に空堀が見えます。
城生城中心部(筑摩書房『戦国の城を歩く』より引用)
千田先生が「城づくり悲観主義の法則」で実に分かりやすく説明されています。