富山県富山市婦中町安田字殿町割
天正13年(1585)豊臣秀吉による越中佐々成政討伐の際、白鳥城の出城として前田氏家臣の岡嶋一吉が入った。ただ、規模や形からそれ以前から存在した豪族の城館だったと思われる。つまり、元々は木舟城などに見られる曲線基調の二の丸、右郭の二郭構造の居館に、前田氏が方形の本丸を付け加えて改造したと考えられる。そうなると、二の丸・右郭は馬出の役目を果たしたとも見れる。
その後、前田による越中統治時代も使用され、岡嶋が金沢へ帰った後は代官平野三郎左衛門がいたが、まもなく廃城となった。
江戸時代以降は農地と化したが、字名「殿町」や、「オオシロ」「コシロ」などの地名を残していた為、昭和52年にほ場整備事業を行う前に発掘調査が行われた。すると古図通りの遺構が発見され、昭和56年に国指定史跡として保存が決定。平成にかけて調査を進め、城全体が復元され公園化された。貴重な平地城館遺跡として資料館が併設されているので、是非おたちよりを。(撮影2012年4月)
隣接する安田城跡資料館には是非立ち寄ってみてください。入場無料。発掘調査による出土品が展示されており、定期的に埋蔵文化センターが企画展を行っています。また、城郭研究家・佐伯氏による富山県内の山城縄張り図が配布されていますよ。
Googleマップ上の安田城跡
昭和50年の航空写真(提供:国土画像情報 国土交通省)
発掘調査前は田畑であったことが分かります。
隣接する安田城跡資料館テラスから見た本丸方向
安田城案内板
右郭と水堀
右郭 。周囲に土塁はありません。
ただし古図によれば西側に土塁があった模様。
(GoogleMap ビュー)
右郭には案内模型が設置されています。
右郭から二の丸への土橋と直虎口
安田城二の丸(GoogleMap ビュー)
三方を土塁で囲んでいます。
二の丸南側の虎口と土橋。
安田城の虎口は、横矢などの工夫が見られません。
二の丸東側の土塁
二の丸から本丸への土橋
ただし、ここは木橋だったことが発掘調査で分かっています。
つまり右側の木製通路が築城時の姿。
左側幅2mの土橋は後世追加されたもの。
本丸の土塁断面ですが、なんという幅広な!
17mあります。
安田城本丸。規模は南北約80m、東西約90m
発掘調査で、建物柱の穴や礎石が見つかっています。
(GoogleMap ビュー)
本丸西側の水堀
本丸北側の堀
足下注意してくださいね、滑り落ちますよ。
本丸東側の土塁は、断面土塁層を見学できます。
(GoogleMap ビュー)
土塁層の説明図
隣接する安田城跡資料館
発掘調査や遺物の展示、ビデオ上映などあります。