富山県小矢部市上野桜町(Googlemap)
佐々成政と前田利家が交戦していた天正13年(1585)に、越中進出の拠点として築城され、前田秀継・利秀父子が在城した。成政が降伏した後、秀継は木舟城に移ったが、天正大地震の為に城は倒壊、秀継夫妻は死亡した。まもなく利秀が今石動城に入ったが文禄2年(1593)に病没した為、廃城となった模様である。
城山と呼ばれる山には無数の削平地が残る巨大城郭ではあるが、虎口、堀切、土塁などの遮断防衛設備に乏しい。さながら陣城の様相である。この点、佐伯氏は軍事的緊張が高い縄張りとは言えないと考察し、富山の役での豊臣秀吉軍の駐屯地として使われたのではないかと推測している。そう言われれば、納得の縄張りである。
主郭直下まで車で登ることができるので、アクセスは非常にしやすい。主郭周辺は整備もなされ訪問しやすいが、それ以外は完全に藪の中である。(撮影2016年03月)
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今石動城城郭図(『富山県中世城館遺跡総合調査報告書』より引用)
城域への入口(縄張図1)
車は2台程度停めれます
入口にある案内板
入口にある公園案内図
切岸を守るように、階段が設置されています。
ただ、隣に堀切が存在します(縄張図2)
昔はここから入ったのでしょう、古い階段があります。
主郭西側下の曲輪へ入っていきます(縄張図3)
きれいに削平されています。
主郭へ向かう虎口部分(縄張図4)
ここも遺構を守るためなのか階段が設置されています。
もう一段登れば主郭です。
今石動城の主郭に到達(縄張図A)
かなり広く、削平もしっかりしています。
主郭からの眺め
主郭を南側から
(Googlemapビュー)
主郭南東端で虎口があります
主郭への枡形虎口部分(縄張図5)
主郭の東側切岸