富山県砺波市増山(地図)
増山城の北側を守る山城。
古増山城とも言われ、南北朝時代の二宮円阿の「和田城」であるとする説もある。しかし縄張りは導線の工夫があり求心的で、佐伯氏は天正年間に越後上杉氏が築城したのではないかと推測している。
遊歩道のみを歩けば分からないが、上の曲輪が下の曲輪を徹底監視・防御する縄張りなので、よく観察して欲しい。西方向の尾根筋や南方向の防御は徹底しているが、北側の守りは無い。おそらくは孫次山砦が北の守りの役割を果たしたのだろうか。(撮影:2024年4月)
>>2011年の亀山城の写真
亀山城 遠景
亀山城 城郭図
『越中中世城郭図面集3』(佐伯哲也 著)より承諾を得て引用
道路脇から入る登山道があります。
本来の導線である西側尾根へ行きます。
麓から登るしっかりした道があります。
一番西端の削平地(城郭図1)
城郭図1では脇を土塁状にして通路にしています。
城郭図2の土橋状通路
城郭図3の土橋。
両側を竪堀にしてあり明確な土橋です。
城郭図4の堀切。
完全に西側尾根を遮断しています。
見事な堀切です。
ここを通れない敵兵は、5の方向へ進みます。
城郭図5の部分へ来ました。
何の変哲も無い斜面に見えますが、ここからは恐怖の場所です。
上へ登る道は折り曲げられています。
城郭図6の竪堀で進路を阻まれます。
7方向へ行くよりありません。
城郭図Gの曲輪
5から7へ進む敵兵を攻撃する曲輪です。
更にG曲輪を監視する8の部分。左手が土塁。
Hの曲輪。
ここも5から7へ進む敵兵へ備える曲輪。
9の竪堀。
この先、何本もの竪堀で北側の回り込みを完全遮断。
10の竪堀。
11の櫓台
13の竪堀。
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