富山県の山城・城跡

増山城

富山県砺波市増山(地図

 越中三大山城の一つに挙げられる巨大な山城。
 元越中守護・桃井直常討伐に従軍した二宮円阿が守った「和田城」が増山城の始まりと言われますが、これは亀山城のことを差すという説もあります。その後、越中守護代の神保氏が放生津城の支城と位置づけたようです。天正4年には越後の上杉謙信によって攻略され吉江宗信が入りましたが、謙信死後、佐々成政の支配下となり、豊臣秀吉との戦いに備えて整備されたようです。
 前田氏時代には前田利家の重臣・中川光重が守りました。
 しかし織豊系城郭の特徴が薄く、各曲輪の独立性の高さから、神保氏時代の様子を強く残しているように見えます。

しょう姫ちゃん 城跡は現在、国指定史跡として整備され、非常に訪問しやすくなっています。ほぼ縄張り全域を公園化し、『曲輪の会』に依頼すれば案内サービスもしてくれます。とにかく、城全体をとりまく巨大な堀切、急で高い切岸、櫓台や土塁を張り巡らした徹底した守りに圧倒されます。
 増山城の縄張・防衛構造については佐伯氏の『越中中世城郭図面集』で詳しく解説されていますし、砺波市発行の冊子もあり、それを参考に訪問すると一層楽しめます。
 ちなみに、右はマスコットキャラクターの「しょう姫ちゃん」。最後の城主だった中川光重の妻であり前田利家の次女蕭姫を元にしています。
(撮影2011年11月)

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>> 増山城Googleストリートビュー
 (七曲りから一ノ丸、二ノ丸、安室屋敷と馬洗池まで行けます)
>> 増山城を歩く(Youtube動画)

増山城遠景
増山城遠景(西側より)

増山城七曲り入口
増山城 七曲り入り口

七曲り
城下町からの本来の大手は、この七曲りなのでしょう。

増山陣屋
ダム施設の隣に、平成25年に案内施設「増山陣屋」が完成。(地図
広い駐車場が設けられています(陣屋は冬期閉鎖)。

和田川ダム
冠木門は和田川ダムを渡った先にあります。
事務所棟西に駐車場があります。

増山城 冠木門
和田川ダムを渡れば立派な冠木門があります。
あくまで観光用で、実際この位置にこんな門は無かったでしょう。
ここに縄張図のあるパンフレットが置いてあります!

増山城 縄張図
パンフレットの縄張図。これを元に説明しましょう。

増山城
まず、冠木門からF郭、馬之背ゴ、七曲りへと行きましょう。

増山城 F郭へ
冠木門から谷を登っていきます。
この谷は防御が薄く、こちらからの攻撃は想定されていなかった模様。

増山城 堀切
まずは両側尾根にある巨大な堀切に驚かされます。
写真は西側の堀切。

増山城 堀切
これは東側尾根の堀切。とにかく大きい。

馬之背ゴ
馬之背ゴ(E郭)

馬之背ゴ 土塁
馬之背ゴは、和田川側と七曲り側に土塁が設けてあります。

七曲り
馬之背ゴの土塁からは七曲りが見下ろせます。
ここを登ってくる敵を狙い撃ちですね。

馬之背ゴ
七曲りを登ってくる敵に横矢をかけます。

虎口
七曲りを登りきったところに虎口があります。(Googleビュー
写真右上が一の丸。ここに門があったことでしょう。

虎口
一の丸から見下ろした虎口空間。写真奥が馬之背ゴ。左は櫓台ですね。
七曲りを登ってきた敵は、ここを突破して城中へ。


なにやら門がありますが、史実や調査に基づいたものとは思えない適当さ。
Google ビュー


一の丸の切岸。急でこんなの登れません。
敵は写真左の通路を通ることになるのでしょうが、一の丸からの横矢攻撃に晒されます。


通路を進むと、一の丸東側で堀切を入れて遮断しています。
固い守りですね。(Google ビュー

>>又兵衛清水、石垣、一の丸へ